仮庵

書きとめる仮住まい

夕陽を見にゆく

たまたま夕方に公園にいて、たまたま夕陽を見た。

「あー沈んでくわー。はやいわー」
なんて言いながら、感傷的になることも感動的になることも無意味だとか時間の無駄であるとかそういうものも一切思うことなくただそれを事実として見た。

夕陽が沈むということは知っていたが、沈む瞬間を見届けたことはなかった。

 

なんの感情も意味もともなわないその状態というのがいままで体験したことがないシロモノで「なんにもない」というのがおもしろく、今日もでかけた。

一人用のレジャーシートを敷き、その上に体育座りをして西の方向を向く。リアル仮庵?

犬の散歩をしている人や、ウォーキングをしている人からすればかなり変なヤツとして映るであろうが、そんなことは気にしない。

無音でもよかったのだけど、今日は試しにヘッドホンをして爆音で音楽を四曲聴いた。

その音楽が、わたしのなにかを揺さぶりもせず刺すこともひっかくこともない。ただよい音、よい歌詞が耳のそばで鳴っている。


夕陽は、急激に雲の波間に飲み込まれていく。それを見るだけ。それでしまいだ。片付けて帰るのみ。

 

けっして生活に必要でない、物質的にいうならばかなり無意味であろうこと。

 

事実をなぜか見にいく。なんの感情も欲しいものもそこにはない。なんで?と聞かれたら「おもしろいから」ということばしか見つからない。意味も無意味もこれにはないのではないかとも思う。

 

意味のあるものとして価値を強くしたり、無意味だと思うものに無理やり理由を与えようとか、そのようなことせず(たとえば、きもちがよいからとか、癒されるとか、ストレス解消になるとか、そういうたぐいの意味)ただ「ある」ことを「なにもなく」見ている。

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