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仮庵

書きとめる仮住まい

不機嫌なアート

子どもたちの制作の現場を見せてもらう機会があった。

その中で一人、じぶんでは処理しきれない複雑な感情を「ちゃんとやらない」であらわしている子がいた。
わたしは心のなかで「だせだせ。どんどんだせ。出せるうちがいいぞ!」なんて思っていたのだけれど、逆さまに貼ったオブジェクトはなおされたりなんだり。
「やらない」んじゃなくて「ちゃんとやらない」だった。ここが感情のポイントだよな、とみていた。

わたし個人としては、そうやって作った制作物もいいんじゃないかなあ? と思う。

不機嫌に作ったものは、その時の不機嫌が反映されていて、家に持ち帰って目に入った時なにかを考えるかもしれない。
ぶん投げたっきり、もう見ることもないかもしれない。
わたしの考えも及ばないようないろいろな可能性のある一作品だ。

わたしは、天邪鬼なことをしたっていいんだぜ。だってそういう気持ちだったんだろう?
と思うのだけど、そうはいかないのかもなあ。と考えてしまうと、ことばにするのはむずかしい複雑な気持ちになる。

わたし自身が「ちゃんとする」ということが得意ではないし、まだまだお子ちゃまで「わかってねーな」と言われる考えかもしれない。

取り組みのねらいに、その時の感情をぶつけること。というが含まれていないのなら致し方ないのかもな。とも思うのだが、作るものに、見本はあっても正解はあるのだろうか。

などと、短時間ながらいろいろ思ったのであった。

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