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仮庵

書きとめる仮住まい

ライブ感。

雑記

いま、わたしはとても楽しい。
自分のセーターをちまちま編みながら、これでサイズ感覚と工数と玉数がわかったら子どもにも一枚。オットのは……めちゃくちゃ大きいから保留。などと考えている。

並行して、「かーそる」という雑誌のメモをとっている。メモを取る前にうふうふしながら三回くらい読んだ。

抜き書きは好きなのだけれど、そこから読んだことから出てくる自分のうちなることばを書き出すのがすごく苦手だ。ウッとなる。胸でつかえて出てこない感じ。出すのをどこかでためらっている。
でも、つかえて出ないならつかえているものはある! のであってそれはどうやら引っ込み思案ながら出たいともいえる。

しばらくどうすべきか悩んだけれど、いちどすごくシンプルな方法を試してみることにした。ゲルボールペン1本、表紙を破ったじゆうがちょう1冊。なぜじゆうがちょうかというと、あまっていたからです。

うんうんむずかしく考えないで、「ライブ中」ランプを点灯させて書き出すといままで書けなかったのがウソのようにすいすい書けるようになった。
読んでいる間に立ち止まったらそこで一気に胸の中にあるふくらんだものを書き出す。

いまはペンをつかうことにしたけれど、キーボードを叩くのは大好きだ。
子どもの頃はあれをむやみにカタカタいわせるのが大好きで、家のワープロを勝手にいじっていたのが、おそらく五歳とかだった。父親が仕事で使おうとすると、あわてて横からあいうえおを打ってまんぞくしたのがわたしがのちのちコンピュータを好きになるきっかけだった。

最終的には誰も使っていないのを見はからって自分の部屋にもちこんで遊んでいました。
リボンが自分が思っていたよりも高かったこと、高いから裏返してはめたらときどきかすれるけれど二回使えることを発見したり、楽しかったな。

そこから変わらず、キーボードへの憧れと目の前にことばが打ち出されることへのなんともいえない喜びは変わりません。

けれど、いま現在じぶんの気持ちを書きあらわすのには手書きのほうがちょうどいい。

ライブなんだと思いながらいっきにペンを走らせる手書きだと難しいことばを書けない。いいまわしも、漢字もかんたんなもの。一息ついてみなおしたら、このブログのわたしがいちばんわたしらしいと思っていたけれど、もっとわたしらしかった。

ブログで色々書いているけれど、自分の気持ちを書くというのはちょっとおそろしい。
書いてしまうとなんでだろう? と思うのだけど、まあそれはいままで生きてきた上でのなにかが理由なのでそういう性質だと思うこととしました。

リハビリ? が終わったら、キーボードでもすなおに書けるかもしれません。すいすい。

ライブ中と手書きという新しい方法を手に入れていまはワクワクがとまらない。
そして手書きのメモができあがったらキーボードで打ち込んでもみもみするのが楽しみ。

方法にこうじゃないとダメだ!という決まりはなくて、自分にあった方法を楽しむことを知った最終月。そう、とうとう十二月になりました。

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