仮庵

書きとめる仮住まい

進歩、慎步

全身筋肉、無駄な脂肪は何一つなく柔軟性も高いが運動不器用な我が子である。力みすぎ。

跳び箱、鉄棒ができるようになったと、毎日うれしそうに教えてくれる。興奮し始めるとどんどんはなしが大きくなるので、どこまで盛っているかはわからないが、母は全力でスゴイな!とほめる。鉄棒は、かなり本気。うっかり顔面から落ちて以降できないので。

「なわとびも、できるよ。」
というので見せてもらったが、2ヶ月前に見せてくれた時から進歩はなく「おっ、おう……」と言うにとどまる。

問題点を洗い出し、基礎練習を教える。
前なら、できる自信がないからそんなことを言ったらめっぽう怒られた。

じゃあ、母ちゃんはこう思うんだ。でもまずは自分で好きなようにやってみたらいいよ。そこでうまく言ったらあなたの考えたことで正解だったしイェーイだし、うまくいかなかったら母ちゃんとか父ちゃんに聞きなよ。

なにかがはじめるときに口出しすると怒られるので、大抵この一言からすべてがはじまる。ものすごくスロースターターになるが、苔だって3秒で生えないのだから、人生それでよいのだと思っている。
ただ、積み重ねることをバカにしたときは「かあちゃん、はなしながい」と言われる説教である。たとえ話が理解できるようになるまでしばらく長い。

「自分はできるモード」に入っていると、他人の指摘もすなおに受け入れ、最初に見た時とは見違えるほどに進歩した。
鉄棒だって、跳び箱だってともだちが「こうすればいいよ」と言ってくれたからできた。と言っていたので経験済みなのだろう。
まだ、連続では飛べないけれど少しずつやっていけばできるようになる。


母は、子にとても気を使う。運動だけでなく、生活にまつわる様々なことでだ。
そこで「自分はできるモード」を削ぐようなことを言ってはいけない。

人と比べること。
頭ごなしに、ダメだということ。
理不尽をいうこと。
例え正論でも言いすぎないこと。

いきすぎた自信は大体ためにならないと思っているが、萌芽のような自信は地味に咲く花になる手伝いくらいはしてやりたい。

うまく褒めるのは難しい。
ただ子どもはわたしと違って、褒められたことをすなおに受け入れるから、本気の褒めは最大限の身振り手振りを加えて全力で。
最近はなんでも(ゴミを華麗に捨てたとき等)「すごい?」と聞かれるから、そうでもないときは「おう。いいんじゃないか」。

果たしてそれでいいのか、悪いのか。よくわからない。だから細かな自分のバグ取りは忘れずに。
母離れをしたときに、最終結果はわかるのだろう。

まだまだたくさんの「できるはず」のことを、うっかり踏み潰さないように慎重に歩く。

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