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仮庵

書きとめる仮住まい

蒸し野菜とバターソース

蒸し野菜で思い出すのは、結婚直前の失敗蒸し野菜だ。
長いこと蒸し器で火を通したつもりであったが、根菜は芯が残りなんとも残念な蒸し野菜になってしまい、それをもそもそ食べた。

たくさん蒸してしまったので(それが失敗だったのだろう)翌日弁当にもいれたが、なんとも悔やまれる出来であった。
あれが人生で初めて作った蒸し野菜であった気がする。


先日、読んでいた小説に茹でキャベツとジャガイモにバターソースをかけたお皿が出てきた。

読書灯のもと「どんな味なんだ?」とワクワクする。本や映画でよくおぼえているのは、食べ物が出てくる場面だ。その場面のみといっても過言ではない。

現実では食べられればほぼなんでもおいしいので、食へのこだわりは皆無に等しいのだけれど、味を想像するのは楽しい。

ちょうど冷蔵庫にキャベツとジャガイモが入っていることを思い、夕食のつけあわせはそれにしてみようとニヤニヤしながら毛布にもぐりこむ。
口には想像の味がめいいっぱい広がり、しあわせなことこのうえない。
 
翌日の夕方は待ちに待った再現タイムである。小説の中につくり方は載っていないから、感と検索して得たソースの知識のハイブリッドだ。

たっぷりのレモン汁にバターひとかけら、ちょっとだけしょう油を垂らしてフライパンを弱火にかけてバターを溶かす。
バターがじんわり溶けて、すっかりなじんだようなら火をとめて最後にディルを少々。ジャガイモと合いそうなので。
 
今回は蒸し器ではなく、電子レンジで野菜を蒸す。数ヶ月前にスタートスイッチのみ反応しなくなり泣く泣く処分した年代物の電子レンジ(子どもは本当にすがって泣いた)では重たくて回らなかった耐熱皿がぐるんぐるん回るのが嬉しくて、最近耐熱皿を使うブームがきている。

今日もちゃんと回っていることを確認して満足し電子レンジの音を背にしたら、そういえばいつのまにか昔のように素材に火が通りきっていないというような失敗をすっかりしなくなったなと気がついた。

記憶の糸をたどってみるとおそらく子どもの離乳食づくりの経験が生きているだろう。柔らかくするのにたいそう気を遣い、どうすれば効率よく作れるかを探求したのであった。わたしは料理することを実験に近しい感覚でやっている。

耐熱皿いっぱいに(ちゃんと)蒸しあがったキャベツとジャガイモにソースをまわしかけて、食べてみる。最初はすっぱい味に驚くけれど、野菜になじんでおいしかった。

たしかに、読んで食べてみたくなったから作ったのだけど、本当に作ってしまうと想像の味というまぼろしがどこかへいってしまうのは、すこしさびしい気持ちにもなる。

もう、想像の味は現実の味に上書きされてしまったのだ。

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