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仮庵

書きとめる仮住まい

妄想・ネット本屋さん

なんだかアヤしいタイトルだが健全? なとりとめのない妄想をタレ流そうと思う。

最近、本屋さんのサイトを作るなら? という妄想をしている。予定は別にないのだが、「こういうものを作るとしたらどうする?」は頭の中でひんぱんにやっているので、趣味なのだと思う。

それで、そういう企画中だと思いながら本屋とか図書館をぶらぶら歩いていると、書棚を見る行動をそのままウェブ上に再現するのは何かが違う。だからといってとりあえず検索しないと本が見つけられないというのも違うなと悩めて楽しい。

今日は企業主体なのか個人主体のサイトなのかという前提条件はわきにおいておく。

本屋をどう歩くかは人それぞれだと思うのだけど、目的がない日のわたしは(かつ子どもを連れていないなら)まず棚に納められている背表紙を隅から隅までを見てまわる。
今売れてますとか、◯◯大賞受賞とかの情報はそんなに見ない。あまり一般的な行動ではないかもしれないので、仕事で作るとしたらここにめっちゃ見るよ! という人の意見もあったらいい。

ぶらぶらしているときの頭の中はからっぽか、なんか面白そうな本ないかなー? で、前者の場合は本当になにも考えていないのだけど、後者の場合は「こういう雰囲気の本」というふわっとしたイメージはある。

確固たる目的が「ある本・あるジャンル」なら検索でいいのだけど、目的が「面白そうな本との偶然の出会い」だったら検索ではない。

どう、偶然出会うか? を意識して出かけてみると、棚に入っているならそれぞれの背表紙の高さや厚さの不揃い、色、紙質、訴えかけてくるタイポグラフィ。均一なテキスト情報のみではないあの一覧性。

平置きなら、コーナー化されていたりして「あーここにコレとコレを並べるんだあ」という店員さんの存在を感じる。

そして、偶然手に取ったものの表紙を眺め、目次をなぞり、はじめにを読んだり、本文をパラパラとめくって書体と文体を確かめる。コレは! と思うか否か。
「偶然の出会い」を生み出す要因はいろいろありそうだな、と見ていた。
今日はここを書きたかっただけだったりする。

モックも作っていないから断言はできないが、現実世界で目にしたものや並べ方(それこそ棚画像を表示してそこに本を並べるような)をウェブ上でそのまま再現するとするのが果たしてよいか?といったら、それはNOだろう。

そもそも。が違うのだ。そのそもそもは複数あるように感じるのだが、いまのところ思いつく限りでは己は動かずクリック(またはフリック)して画面が移動しての情報の受け取り方と、歩きながらハンターの気持ちで本屋を歩く情報の受け取りは違う。違うと言っているけれど、細かいことはわからない。

じゃあ、画面を見ながらハンターの気持ちでいたらどうだろう? と考えてみると、注視する画面情報と分散する現実世界での視野が違うことで、バーっと流し見しているとたまに訪れる「おっ」の引っかかりが少ないように感じる。それこそ「偶然目に入った」とかそういうもの。あと、デジタルの流し見は何故かしんどい。

そのまま再現しても意味がないのであればウェブに最適化された表示を考えなければならない。
果たしてその最適化とはなんだろう。というのを、ときおりボーッと考えているのだけど、これは思いついたらもはやイノベーションの類だな、と思いはじめた。既定路線のウェブサイト構築ノウハウのあれこれを組み合わせてひとりで考えていても何故か本屋さんは作れる気がしないのだ。

これはひとりでやるよりも複数人で考える方がいろいろと意見があっておもしろいだろう。

偶然性と最適化に関するこたえは出ていないけれど、登録されている本を自動的にシステム側から吐き出すようなものでなくて、人の手がかかりはするがそれこそキュレーションするほうが「本屋」らしい。

ただ、そもそも自分の本屋の概念を変えないと、ネット本屋は作れないのかもしれないとも思う。いままでの認識から離れるが難しい。

妄想を書きはじめたらどんどん長くなるのでこれくらいにしておくが、本屋さんやそういうサイトをやりたい個人(あるいはチーム)のどちらだとしても、本というものをどういうみせ方で人間にアプローチするかのこたえはひとつじゃないはずだ。人それぞれにある本屋の楽しみ方や面白ポイントオススメポイントがサイトの独自性になる。

近所に本屋がなくて日々「うーん」と思っているから、ネットでも本屋を歩くのが楽しい時が来たらいいな、と思いながら妄想している。

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