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仮庵

書きとめる仮住まい

夕暮れ

雑記

昔から夕暮れに出歩くことが好きなのだけれど、子どものいるいまはなかなか機会がない。

いままでいちばん多く繰り返した夕暮れのイメージは、足元ばかり見ながら歩いていると、どこかの家から流れてくる煮物のにおいや、お風呂を沸かすガスのにおいがしてくる。
それにハッとし、一呼吸おいてからぐっと息を吸い込むとその日たまったイヤな気持ちが消えていく。じんわりうれしい気持ちが胸に広がって、やっと顔を上げると薄暮の空には一等星が見えている。

夕暮れには他にもいろいろなイメージがあって、どれもわたしにとっては大切なものだ。
これまで出会った人間の情報は、なぜかほとんどがかすみがかってしまっているが、風景はおもににおいがトリガーとなる、一部分のみ鮮明な断片情報で残っている。あげればキリがないので、ここには書かない。


先日、たまたま思いついたので「父ちゃんをむかえにいこう」と、最寄りの駅まで歩くことにした。

長くなったばかりだと思っていた日暮れはいつの間にかゆるやかに早くなっていて、迎えに行くころは手もともうすらぼんやりとするくらいの暗さだった。まわりはよくみえないのだけどよくみえないからみえるものもある。

それは、またたきはじめた星だとか燃えつきて落ちた夕陽だとか、子どものちょっとこわがっているめずらしい姿だとか。ふだん一緒に歩いているから知っているはずの、力強くすばやい歩みだとかをあらためて感心しながらみる。

草いきれがおさまった、湿り気のある夏のにおいを嗅ぎながら、子どもが転んだりしないか注意を払いながらオットを探す。

遠くに父ちゃんを見つけた子どもは駆けよっていくやいなや、今日あったことを話しはじめ、いま通ってきたばかりの暗い道を先ほどまでのこわがっている様子など一切なく戻っていく。

わたしはふだん、オットがいると子どもを任せて先陣をきりぐんぐん歩いていくのだけれど、その日はなんとなくいちばん後ろを歩いていた。

わたしの好きな夕暮れの風景に、ふたつのすがたをみたかったのかもしれないし、単純に出遅れただけかもしれない。

けれど、その輪郭もあいまいな後ろ姿を見ながら「なんだかいいなあ」とじんわり思ったことは間違いない。

「夕暮れ」にまたひとつ新しいイメージが加わって、また同じ夏のにおいがしたら、きっと思い出す。

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