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仮庵

書きとめる仮住まい

ことば不器用 「話すこと」

「おめでとう」や「ありがとう」のつかい方がむずかしい。こころをこめたいが、それだけでいいのだろうか? とつい考えてしまう。

カンタンな5文字だが、安易に使うと半紙の切れ端のようなペラペラな5文字が中空に飛んでいく。これがあんまりな姿をしていて、好きではない。

まことのことばにはなじむ質感とか質量があるけれど、いつわりのことばは、すごいものだとへたくそな凧のようにバタバタ暴れて吹き飛んでいく。それはなんとなく寒々しい色をしている気がする。

吹き飛ぶ「かわいいー!」は白々しい。飛んだが落下した「すごいねー!」は青緑色。
あれらはどこへ行くのだろう。とまどい、ガクゼンとしている間に消えている。何も残らない。

建前上それらを受け入れなければならなかった場所と時期というのは、たいていうんざりしていた。それでもその場に安全にいるためにはなにも考えないことがそこにいるフリをするには都合がよく手っ取り早い。無意味なことばがたくさん飛んでは消えていく。

あるとき、「わたしなんて何も考えてないっすよー」とおちゃらけるわたしに「うそだね。いつもなにか考えてる」と言った人がいた。とたん、とても恥ずかしくなり、そう言ったその人にはとうとういつわりのことばをつかえなくなった。大人相手にことばはいつわれないんだなあ、と思った。

そんなこともあり「適当でも大丈夫だよ!」と頭のかたすみでは思いつつ、いまでもついついことばを選ぶのに時間がかかる。メールなどの返事をするものも同様だ。いつわるのはーー自分のこころに反したとしてもーー簡単だが、納得ができない。

もっと、適当なことばはないのか。これでは表現するに足りぬ。
しばし黙って考えてから、やっと出てきたことばでは遅いことはままある。
あわてて言ってしまったことばにがっかりすることも多い。

頭の中では多くの文量が浮かんでいるが、音声用に形成し会話の速度に追いつくには遅い。

言うのにかんたんでないことばをパッと言える人をみると「なんということば瞬発力」と感動する。これも筋トレみたいに鍛えられるものなのだろうか。生来の率直さ・素直さたるものなのだろうか。頭のよさなのか、回転の速さなのか、口を動かすことに慣れているのか。それを観察するのは楽しい。けれど自分の瞬発力はなかなかあがってはいかない。向き不向きがあるのだろう。

できることならしゃべりたくないなあ、とおくしてしまう「ことば不器用」を背負いつつも、人としゃべることが実は楽しいのだから、ジレンマとはこのようなことかと思う。

「いつも離れてニヤニヤ見ている人」「押し黙って話を聞いている人」そんな人が周りにいたら、その人もことば不器用かもしれない。

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