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仮庵

書きとめる仮住まい

ふたご座の子

雑記

誕生日当日は子ども本人の意向がかたく、特に何もしなかった。

産んだ本人としては、当日に多少の思い入れもあるのだけど(とても面白かったので)、休日に親族揃ってお誕生会をやるのが恒例となっているから、そっちがメインイベント日なのだ。

たまたま体調がよかったこともあり、お祝いムードを維持したくなったので助走をつけるようにメインイベント日まで遊び倒した。大人になって久しぶりに1日が長いと感じる1週間だった。

母になって5年。
生まれた日授乳室で眠っている我が子に初めて会った時「ああ、うちの子だな」とつい笑ってしまってから、子どもの印象は変わっていない。堂々たる寝姿であった。

あまりに「その人」という印象だったので「この人は、子どもであるが、人だ。人として接せねばならぬ」と感じた。
明らかに1人では生きていけない姿ではあるのだが、意志を持ったわたしとは別の生命体だった。

別の生命体なので、親の考える通りになどならない。個体として存在する以上、まったく同じであることなどありえない。

子どもだから・自分の子どもだから、と思い通りにいく・させるは違う。そこには、それぞれの意思と思考がある。

一個人としてみたら、強制も尊厳を否定する態度もとれないだろう。

わたしが子どもの頃は親が絶対であった。その呪縛はだいぶ長く続いた。
子どもが親に対しそう思ってしまうのはどうしようもないと、我が子を見ていても感じられる時が多々ある。

なぜかと考えれば尽きないのだけれど、模倣の対象としてまずくるのが親だ。なぜなら目の前に常にいるからだ。意思に関係なく模倣の対象として選ばざるをえないのだから絶対だ。そして、守ってくれると無意識下に信じている。絶対の信頼関係があると思っている。

安心を得たい時には親としてできる行動するが、他の「母ちゃんの言ってることは絶対」を感じる時、母は「待て」となる。

わたしは子どもよりちょっとだけ知恵があるくらいで、何もすごくない。大人だからちょっとできることが多いくらいで、わたしは子どもより偉いわけでもない。

「母ちゃんはこう思うけど、キミの考えは違っていいし、他の人はもっと違うことを考えているかもしれない。意見は参考にはしなさい。自分の考えたことを絶対と思ってもよくないけれど、何もかも鵜呑みにするのもよくない。自分の頭で考えよ。柔軟であれ。そして自分の意見や考えを述べることを恐れるな」というようなことを、かみ砕いて言う。
「はなしながい」と言われる。


我々は、確かに親子であるのだが同時に共同生活者だ。
お互いに、足りない部分は補い合うし、みんなで心穏やかに生活できる方法を全員で考えていきたい。

卑近な例でいくと、最近「かみのけあらいたくない」問題がある。

髪の毛が洗いたくないのは何故か?
顔に水がかかるのが嫌。
ではかからないようしてみてトライ!

をあの手この手で繰り返している。

これはだめだった。これはいけた。の繰り返しであるが、最初にトライしたシャンプーハットに落ち着きそうである。
最初は「シャンプーハットつけるのやだ!」と根本から否定されたので保留になっていた。

結局、シャンプーハットでいけるんじゃん! とは思いはするのだけど、色々トライしているうちに出来るようになることは多々あるのだ。

お互いに「これで大丈夫」となってからじゃないと大体うまくいかない。妥協という場合もあるけれど、しこりが残るような解決はしたくない。いつか巣立っていくとはいえ、一度生まれたしこりや不信感はなかなか消えない。

それはお互いの関係だけでなく、自身への信頼低下にも影響する場合がある。経験則ではあるが。

 

やっとそのトライアンドエラーの状況に慣れたので、短かった気もだいぶ長くなってきた。子どものペースとしてはまだ短いかもしれないが。


「平均的にできる年齢」というのに踊らされることも減ってきて、「やれることをまずやろう。出来る方法を考えていこう」でいい。できるようになったことはどんな小さなことでも必ず次のステップに役立つ。

プラネタリウムを見に行った。
誕生日プレゼントのうちの一つだった。

子ども用の上映だったので、アニメが挟まるのが若干心配で(起承転結のあるものを不安がって見ない)、実際アニメが流れるのを予感して目を隠そうとしたが、眼前に広がった「今日の星空」に感動して目を隠すことなんて忘れてしまったようだ。

星を指差して無邪気にはしゃぎ、自分の星座が出てくるかな? とワクワクしていたようだったけれど、誕生日の3、4ヶ月前でなければ見られないと知って悔しそうであった。

ああ、大きくなったな。と星空も見ずにその姿を見て思っていた。

いくら親と子どもは別の存在だと思っていても、母という人間の考えを押し付けている気がしてならない。いつも不安だ。
だからよくよく自分の頭で考えろというけれど、これだって押し付けになりうる。覚えておいてほしい一つのことではあるのだけれど、教えてよいことなのかもわからない。自分で気付いた方がよいことであるかもしれない。

わたしが子どもの頃に教えて欲しかったからという理由でそうしていても、そうであるとは限らない。人それぞれだろう。
いつもこれを迷い、考えている。「絶対の正解」がない。難しい。
子育ては考える要素だらけだ。不安も多いけれど、楽しいことの方が多い。

子育てって、一発勝負すぎてしんどいなー。といつも思う。けれど、一発勝負だからこそ悔いのないようにやるべきなのだろう。向かい合うのでなく、隣に座ってね。


「ぜんぶみれた……」
上映が終わった後、自信にあふれた小さい声が聞こえてきた。嬉しそうだった。

「2がつに、またくる」
自分の星座を見たいそうだ。

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