仮庵

書きとめる仮住まい

めくる

たぶん、わたしの趣味は抜き書きだ。
なにせ毎日ノートになにかしらを抜き書いている。

いくつかある収集癖のひとつなのだろう。
さいわい貴金属に興味はない(セボンスターや初代セーラームーングッズは好きだ。特に原作の方)。
あちらのほうが実際には輝いているだろうが、わたしには集めた抜き書きの方がキラキラしていて、眺めて読んでは満足する。
好きなものばかり集めているのだから、そう思ってあたりまえかもしれない。なんど読み返してもワクワクする。

むかしは、手書きなんて時間の無駄だし、なんでもデータにしてしまう方が効率がよいと思っていた。検索もできるし、フォーマットを統一できる。すぐに書きなおせる。コピペですむ。コピペできる。

しかし、なかなか読み返さないのである。
せっかく集めても、見返さなければ忘れたのと同じだ。

手書きがいちばんなどと思わないが、わたしは読み返す段になると、手書きの方が読み返しやすいなと思っている。デジタルほどおっくうに思わない。
手近にあるノートを適当に手にとって、なんとなくパラパラめくったり、ランダムに開いたり、目印を付けてあるページをめくったりする。

既存のサービスをもちいて、電子データを読み返すというのには、工夫がいるなあ。と「読み返す」を意識してからよく思う。

すっかり忘れてしまったが、むかしむかしウェブデザインの世界には表示まで5秒のルールだったか、手数では3クリックだかの読まれる・クリックされるゴールデンルールみたいなものがあった。

そこのユーザーエクスペリエンスだかの事を思い出すと、ためた電子データを読み返さない・読み返すのがおっくうなのは、見に行くための手数やたどりつくまでの時間の問題がひとつあるかもしれない。検証していないからわからないけれども。

時間や手数でいえばどちらもタイムアタックをしたら変わらない気がするし、むしろ検索という点ではアナログの方が分が悪そうだが、そうするとデジタルなのか、アナログなのかという意識の差もありそうだ。


わたしが電子データを最終的につっこむ場所Evernoteに「めくる」という読み方ができたら電子データを読み返すおっくうさが変わるかもしれない。と、これを書きながらふと思った。なにせnoteなのだから、めくれてもいい気がした。

まるで本そのもののような「めくる」は難しいかとしれないが、電子書籍で本を読むような感じならどうだろうか。(あるのかな? 最近まずパソコンを使わないで、スマホ以外のクライアントの機能は把握していない)

そういえば、電子書籍は、同じ電子データでもよく読み返す。断片的に集めた抜き書きと性質が違うのは重々承知だが、おっくうだと思わない。めくると同時に型になっているという点も重要なのだろうか。

とりあえず、電子データを読み返すためには「めくる」が重要な一点かもしれないなあ。と考えている。

なぜ、めくるは重要なのだろうね。
投げっぱなしだが、これがいま考えていること。
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