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仮庵

書きとめる仮住まい

しみじみおいしい

雑記
我が子は食事がとても好きな人間だ。たぶん生まれつき食べることが好きなんだな、と感じる笑ってしまうエピソードがたくさんある。

最近、おかずが3品なければがっかりされる。うっかり味付けをこくしてしまった日には「やさいのあじがしない」と寸評をのべる。日々、きたえられる。

自分が作らなければならなくなったとき、こんなに手間かと思うに違いないケケケ。と思いながら今日も常備菜をちまちま作りたす。


最近おぼえた、切り干し大根をごま油とポン酢で和えたごくごくかんたんなおかずが、我が家で好評だ。

それに加えてならぶものは、きゅうりの甘酢漬けやらひじきの煮物やら山菜やら野菜のおかか和え、その日のメインなど。

個別に作っている間はうっかり気づかないのだが、それぞれを皿に盛ってハッとする。とにかく地味だと。
洋食や見た目鮮やかなものを作ることと相性がよくなくて、おのずとそうなる。

よその子どものたちの弁当を見たことがある。
どうやったらこんなに色のたくさんある弁当を早朝に作れるのかと、驚く。同時にすごいなと感心する。
わたしの作る弁当はイメージ映像で出てきそうなThe 弁当だ。

毎食こんな地味な見た目の食事でうちの家族はよいのだろうか? いやあ、地味だな。なんとかしたほうがいいかな。と考えていると、ご飯に夢中で母が考え込んでいる顔などには目もくれず、皿しか見ていない子どもが言った。

「あー。これ、おいしいんだよなあ。つめたくなっておべんとうにはいってるのすき」と切り干し大根を口に入れる。
「きょうの、これおいしいね。かむとおいしい」とおかか和えも、しみじみ食べている。

これは、とってもうれしいな。と思う。
子どもに気づかされることが、多々ある。

ああ、そうだった。はなやかで、オシャレなものを作ったほうが、見た目にも喜ばれるんじゃないか? なんていうのは、単なるわたしの見栄やあこがれなのだ。

わかっているはずなのに、時たま焦りにみまわれる。引きもどされて、思いだす。
見栄やあこがれにしか目をやらないよりも、地味でもおいしいって言ってもらえて、それが嬉しいなと気づける方がよいのだ、わたしは。

子どもにもっとよいものを! とつい思ってしまうのは、本能なのか。
けれどそのもっとよいものは、本当に子どものためなのだろうか? よくよく考えてみなければならない。

しみじみ「おいしい」といってもらえると、作ってよかった。と思う。
そして、ちゃんとおいしいといえる人間がやってきてくれて、よかった。
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