仮庵

書きとめる仮住まい

認めてほしい

こどもの行動範囲が広がるにつれ、交友関係も広がる。たいていわたしは、こどもたちから3mほど離れて、行動をながめている。こどもの頃の趣味はそういえば観察であった。

なんだか満たされてない感のある衝動的な子たちに会うこともある。その器を具体的になにで満たして欲しいのかはそれぞれであるが、おそらく共通部分はある。

わたしはよそのおばさんなので満たしてもやれないしコアの部分はどうしようもない。
抱きしめてみればなにか聞こえそうな気もするのだけど、それをやるべきはわたしではないだろう。


たまたま遊びの近くにいたら心からおどろいたステキなことをほめる。
それが彼ら彼女らの人生において意味をなすかは疑問だが、いまのところ百発百中で心中にうずまいてみえる今はいらない強がりが消えて「もっとできるよ!みてみて!」と軽やかに遊び始める。もっと無邪気に遊べるようになる魔法みたいなものである。しかしそれはその瞬間効くだけであって、時間経過によって霧散するだろう。
余計なことかもしれないという葛藤はある。


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ファンタジーの世界では魔法に代償はつきものであるが、現実世界の魔法にも代償があって、帰らせてもらえなくなる。そして、ひ弱なおばさんの体力はつきる。
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共通する満たしてほしいものを抽象的にいうなら、おそらく愛だろう。
一般的なことばとして(子育て中のさまざまな書物や書類でこのことばを一度も見ずにすむことはないだろう)愛をもちいるが、わたしには愛はよくわからない。そしてピンとこない。

愛などという日常生活で取り扱うには大きすぎることばを使うから、いろいろなことは大げさになるのかもしれない。
ならば、こういいかえてみる。

認めてほしい。
ここにいることを認めてほしい。
個として、他とは違う個として存在することを、肯定的に認めてほしい。

たぶん、それだけだと思う。

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