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仮庵

書きとめる仮住まい

きらいと言われたはなし

「◯◯にきらいっていわれたんだよねー」  
「マジで? なした?」  
「わかんなーい」(おやつボリボリ)  
「なんかあったの?」  
「べつになにもなーい。きゅうに」(おやつボリボリ)

おやつをボリボリの方が気になって仕方がなかったのだが、どういうメンタルをしているのか、大人だからそう思うのか。

事実のみ受け取り、ダメージはない様子。わたしが幼児だった頃はいちいちうじうじしていた気がするのだがなあ。

というのはさておいて、これは「咀嚼してスルーする技術」なのではないか。とふと思った。

夫婦議論会(日常)で「嫌いの意味がわかってないのでは?」という部分をまず検討したが、母ちゃんや父ちゃんをしつこくくすぐってきた時など「そういうイヤなことする人きらい」と言うと泣くので意味は理解している。「こわいのきらい」「なんで、ぎゅうにゅうきらいなの!? きらいっていってないでのみなよ!」(すいません)とも言うので実用すらしている。

母は、誰かの悪口や皮肉を耳にしただけで「なんだかなあ」と思い、しばらく考え込んでしまう。いやしかし、人間とは元は1つのもので、種の多様性により複数に分かれたのだとしたら、彼らもわたしの一面である。などと考えていて日が暮れる。

話を戻そうね。  
こういう考え方・感情もあるのね。と咀嚼したら華麗にスルーという技術は、大人になったらある程度持ってないとツラくなってしまう事多々だろうし、ネットリテラシーでも必要なことだと思う。ギャンギャン噛み付いたり炎上させたりせずに(そういうのが好きなのならまた話は別だが)、ある一面として知恵の蓄積ができるだろう。  
人の悪意を正直に抱きしめてしまうと、いずれそれに飲み込まれてしまう。体も心も決して良い状態にはならない。

まだ幼児なのもあるだろうし、このままのメンタルでいられるかは不明だが、この技術は自分も磨かねばと思うのだ。いろいろな意味でハッとなった。

まあ、きらいだと言われた理由で思い当たるのは、なびかない、集中すると他のことには一切目に入らない、風のように現れて風のように去っていく。自由。大人たちにやたらと褒められる。おしゃべり。このいずれかが気に触るのかなあと推測するが、まあ、生まれ持った性格なので、そのまま育ってみたらいいんじゃないの? とは思っている。

狭い世界(学校等)でうまくいかなくても、外の世界はすんごい広いんだよ。母ちゃんも行ってみて救われたよ。正直であれば、外の世界で出会った似たような人たち、面白がってくれる人たちはよくしてくれる。今がイヤならそっち見に行っておいで。

ということをいずれ徹底的に推奨せねばならないかもしれない……そういう点ではちょっと覚悟した出来事ではあった。
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