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仮庵

書きとめる仮住まい

感情的に怒らないために

子どもに「あ、怒ってもダメだ」と気づいたのは、そう昔のことではありません。
どうしても意見が対立し、平行線も1時間続くと怒ってしまうことがありました。

この怒るは「感情的に」の方です。スジが通っていない方。
感情的に怒ったところ、なぜ怒ったのかを後から説明したとしても伝わらず、なんか怒られた→怒られて怖かった。という変換がなされる。

結果的に、最後の「(怒られて)怖かった」しか残らないのです。よくよく考えると、子どものみならず大人もそうだと思います。

感情的に怒った側も、申し訳なさと虚しさしか残らず、しかもしばらくの間「母ちゃんに怒られて怖かったベスト3」の発表をされたりなどすれば、もう針のむしろです。しかもそういうことはよく覚えている。

感情的に怒ってしまう。ということは、感情に傾いてしまう何かがあるということ。 人それぞれの理由があると思いますが、わたしの場合は体調です。

体調が悪いなあとわかっていて、感情に傾きそうな時ほどユーモアを。と思っています。

ひとつ例をあげるのならば、子どもが誤っておもちゃ箱ごとひっくり返した場合「見てないぞ!!」と言います。

まず、お互いに音にびっくりしますが、子どもは即座に「マズイ!」という顔でこちらを見ます。わたしは目を覆って「見てないぞ! 母ちゃんはいま、なにも見ていないぞ!」と言います。

茶番を演じ「なにしてんの!」という感情から出る一言に近寄らないだけでお互いに余裕が生まれます。

そうすると、子どもはニヤニヤしながらひとりで片付けはじめるので、体調が悪くて動き出すのがつらい時も手出しする必要がなくなります。

そんな茶番のバリエーションを増やしているうちに、次第に感情的に怒ることも無くなりました。

よって、日常はだいたい真顔でふざけています。最近はあまりかまってくれず残念な限り。

ただし、明らかに身体的危険が発生する、他人に迷惑かかかるなどのダメなことは伝えます。半泣きになることもありますが、それでも「なぜダメなのか」は理解しているようです。

これを途中まで書いて、ふと、自分は怒っているつもりはなくとも子ども側からみて怒られたと思うような事はあっただろうか? と思い「母ちゃん最近なんか怒ったかい?」と聞いてみたところ「さいきんおこってないねー」だそうです。

確認もまた、お互いのために大事でしょうかね。

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