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仮庵

書きとめる仮住まい

こどもとことば

我が子が「たとえば」「かりにね」などの副詞をつかうようになった。
適宜につかう。どうやって理解したのだろう。

まあ、わたしの口ぐせだから取得したのだとは思うが、それってなあに? とは聞かれなかった。
理解から使用するまでの経過を発見しそこねたのは、悔しい。

シナモンドーナツの味を知る前にシナモンパウダーの匂いをかがせて「どんな味だと思う?」と聞きそこねた以来の失態だ。


あれは、甘い匂いがする(と思う)のに砂糖を混ぜなければただの粉だ。
甘い匂いだと思うのは、もしかしたらシナモンシュガーの味を知っているからであって、知らなければ違う感想になるかもしれない。とすごく興味があった。

なので、甘いって言うのかな? それとも違う感想なのかな? とハイハイするこどもを見ながらワクワクしていたのに、思い出した頃にはすでにシナモンドーナツを食べていた。もう遅い。


そういえば、乳児の頃から、一切こどもに沿ったことばを使ってこなかった。

確かに、幼いのであるが、まだ知恵がないだけで自分と変わらぬ人間である。
そう思うと、こどもとして扱いすぎるのもなんだか適切ではない気がして、いわゆる赤ちゃんことばが使えなかった。

時は過ぎ、
わたしが与えるだけだったことばが、
お互いに投げかけることば、そして応えることばに変化した。
コミュニケーションというやつである。

最近は、
「このことばってどういう意味? これってなあに? あれはなあに?」が多発する、質問攻め地獄いわゆる「なぜなぜ期」がきた。

「……ということなんだけど。いみわかる?」
「わかんなーい(or なんとなくりかいしたー)」
「うん。まあ、いずれわかるよ」

必死になって説明するが、たいていはこんな反応である。

途中、あまりに日々の説明がつらくなってきた。
ふと、偉大なる先生にお越しいただくことを思いつき、小学生用の辞書を購入してきて、質問された単語を一緒にさがし、読み上げるようになってからは、なぜなぜ期は落ち着きをみせている。

どうやら、精いっぱい説明してくれた。という結果で満足するらしいということは、最近わかったことだ。

ことばといえば、先日、ぬいぐるみ遊びをしているこどもが、ぬいぐるみにむかってお説教をしていた。

「いみわかってるの!?」

まんま母のことばである。
気をつけねばなるまい。

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