仮庵

書きとめる仮住まい

音読

えいごのおんどく

英語を勉強しはじめて、おっくうだったのが音読だった。

理由。

  • 読み方がわからない。
  • 発音があっているかわからない。
  • 口がまわらない。
  • 疲れる。


めんどうくさがっていてもはじまらないので、とりあえず「続けてみねば、何が起こるかはわからない」と思うことにして、1ヶ月のあいだに本のふろくについていた発音記号の読み方と、単語の読みあげをしつつ、どうやって出しているのかわからない音はYouTubeで手当たり次第動画を見た。(便利だ!)
試行錯誤しながら、音読し続けてみたらあら不思議。
あっているかはわからないが、口はまわるようになった。

なんだか言いにくい気がする時は、だいたい発音が間違っていることに気がついたので、単語の上に発音記号をふり(最初のうちは全単語に)、スマホに入れてある英和辞書で単語の発音・またはGoogle翻訳に文ごと打ち込んで音を聞き、マネをする。
それっぽい程度の再現ではあるが、口がまわるようになると面白くなってくる。

にほんごのおんどく

英語の音読を始めて1ヶ月半経ち、音読をすること自体が好きになってきたので、とくに聞かせるつもりはなく子どもの本を音読してみた。

思いの外これが子どもホイホイで、たいくつだと言っていた本でも引き寄せられるようにやってくる。

「あら。おもしろかった?」
「まあね」


むかし。
ついついふだん心の中で読んでいる調子で教科書を読みあげた結果、教室の空気がひんやりとしたことがあった。
教室中から聞こえてくるヒソヒソクスクスに負けじと声を張って読んだ。頑なに棒読みをしなかった。

ワザと棒読み・適当読みをしてしまうことは、それまで本を読んできたことへの裏切りか侮辱に思えたのかもしれない。または、そういった「空気」への反抗であったのかもしれない。
いずれにせよ、今も昔も頑固者ではある。

順番がまわってきて『フン。笑っておけばいいじゃない』と思いつつ起立し、読みあげはじめる。
いくら読んでも終わりの合図がなく「変だな」と思いながら(たしか)終わりまで読まされ着席すると、おじいさん先生が「聴いたか! こうやって読むんだ!」と叫んだ。
やはり教室の空気はしらけたが、おかげで心が折れずにすんだ。


だから今でも絵本も本も、気持ち・臨場感たっぷりで読む。楽しいから。
楽しく、悲しく。おどろおどろしく、ひょうきんに。動物の鳴き声は腹から声を出す。

たまに、驚きの声などを大きく読むと、子どもがその声に驚き体ごと跳ね上がるのはちょっと申し訳ないが、そういうシーンを子どもは好む。二回目以降はみがまえてニヤニヤしている。

子どもも、母のマネをして本を読む。

なぞる

5月になった。
今年は毎日ただただ勉強し続けている。

勉強の仕方がわからない。という状態から自分なりに続けられる方法を模索し続けている。

飽きない工夫をしながら同じことを繰り返すのが一番続くようだということ。そして、同じことを繰り返しなぞることがいちばん理解に繋がるようだ。

オットがよく、まず作りたいものがあったら1からなぞってみること(車輪の再発明)が自分には理解するために早く、それで基礎ができたらそこから応用ができると言う。

わたしは答えが即座に思いついて、それを説明せざるを得ないときに式を書くようなタイプだったので、遠回りのように感じていた。

ドラクエのシステム・画面を1から作ったことがあると聞いたとき、なぜ?と思ったけれど、いまなら、なるほどなと言える。理解するために自らの手で再現してみるのは有効だ。

信頼

「あたまがいたいから、やすみたい」
「ほう。ならば病院行くか」
「いたいのなくなった」
「ウソか」
「ウソだった。へへへ……」
「あのさ、母ちゃんはあんたの言ってることは全部本当だと思っているからね」
「そうなの?」
「そらあそうださ。信頼してるもん」
「しんらいしてるの?」
「信頼してる。現時点において信頼しないという理由がない。だからあんたが母ちゃんに対してウソつくとは思ってない。だから言ってることは全面的に信頼してる。全部本当だと思ってる」
「うん」
「ただなあ、もう少し大きくなるとさ、親にウソつきたくなるときも出てくるからさ、むずかしい話ではあるわ。いろいろあるのよ」
「ウソつかないもん」
「ほお。そうか」
「だって、かあちゃんのことすきだもん」
「そっか。ありがと」


「そっかーしんらいしてるのかー」

遠い

人とは話せるが、気の利いたことは言えず、なんともなしにできる「間」が苦手で口数も減る。

わざわざつくる他愛もない話もいよいよいらないのでは? と思い、必要なこと以外は言わない。
もちろん、わざわざ作らなくても他愛のない話でずっと続けられる人も、多くはないがいる。ウマが合うというのはそういう人なのだろう。

最近は、わたしと人のあいだに遠さがあるのがよく見える。
実値50cmくらいの距離のなかに、途方も無いなにかの距離があるのだ。

いつの間にかそれを「寂しい」とは思わなくなった。

3月のハイライト

‪「チームとは、みんなでそれぞれに得意なこと・苦手なことをおぎないながら仕事をするために作るんだ。(いや、うん、ただの理想かもしれないが……ええい!)
ひとりでがんばらなくていいんだ。自分ががんばらなきゃダメだって思わなくていいんだぞ。みんなで分担してやるんだから。え? ◯◯がやらないから? んなもん、気にしないで自分のやることだけやればいいっしょ。誰それのぶんまでやろうと思わなくていい。そこまで責任感に追われたらあぶないぞ。そこまで追い込まれてるなら休め」

と、テーブルの下でヘッドホンしてiPodで音楽を聴きながら引きこもっている幼児に言うなど。

納期を乗りこえたあと、半月ちょっと気管支炎となり、薬を飲ませるのがたいへんであった。
ゼリー状オブラートをスプーンに乗せる加減がむずかしかったが、3月中にマスターしました。