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仮庵

書きとめる仮住まい

2016

今年変わったこと。

  • もう、自分が前に出たいという情熱みたいなものがさーっと無くなって、気がついたら誰かの役に立つことがしたいと思いはじめている。たぶん、子どもの影響。
  • 自分が死んだら。ということをよく考えるようになった。
  • おおらかだと言われるようになった。二十代は怒ってばかりいたのが、落ち着いたようだ。
  • よくメモするようになった。
  • 意識してないがやせた。


今年わかったこと。

  • 誰かの重量のあることばはまだよくわからない。もうちょっとおとなになったらわかるのかなあ。
  • 頭のなかにあることを書きつけておくと、冷静になる。
  • わからなくても、逃げないこわがらないこと。
  • 主張はちゃんとしておかなければならない。「気を遣った」という名目の逃げをすると、じぶんのためにならない。
  • 子どもの遊びに全力でおとなのちえをつかい加担するのはたのしい。

目を閉じて、みえるもの

『目を閉じて、みえるもの』を読んだ。
るうさんの文章は、文末が特徴的だなと感じている。そこから、聞いたことのない声が聞こえてくるかのようだ。

目を閉じて、みえるもの

「るうマニア」、途中から「るうマニアSIDE-B」というタイトルで、いくつかのブログサイトに公開したものです。
実用的な話はありません。
ひろくいえば「生きること」と「ことば」について書いたものです。

■本文の章題
道について
Tiny Bubbles
言葉は遊具でありたい
Lyrics(比喩という暗号)
つむじを見るために
紙の本への懺悔
マテリアルの消滅
一度も行かなかった
赤い星の住人
素通りできるひと

音楽のようでもあり、海のような本でもあった。

一編ずつに幕間があって、パッとスポットライトがあたってはじまるそれぞれのおはなし。
きこえてくる楽器がぽつぽつふえてゆく演奏のようなのだ。

しだいに演奏の流れがはやくなるぐるぐるしたもののなかに、いつのまにか飲みこまれていった。
さいごのさいごに、自分のあぶくがみえて「あ、おぼれた」と思ったら読みおわっていて、ざばっと海面に出た。

それまで耳に聞こえていたことばの音楽が、いつのまにか からだぜんたいをのみこんでいたのだ。
読了後の波にゆられながら「もっと読みたいなあ」と思った。
命がけで読書したなとこれを書きながら思った。

◼︎

前回とりあげた『Piece shake Love』は「肉」のことばが矢のように刺さったし、今回は「音楽」のようなことばに飲みこまれた。
どちらもそうかんたんには触れられないことばがからだの中に入ってきた。

ことばって、ふしぎだよなあ。とおもった。
日常つかうことばはそんなにたくさん種類があるようにおもえないし、電子書籍なので、物体としての見え方やフォントなどの特徴の違いはないのだけど、駆る人のことばによって受ける印象が全然違う。
今回と前回はとくにそう感じた。

目を閉じて、みえるもの

目を閉じて、みえるもの

Piece shake Love

『Piece shake Love』を読んだ。
ものすごい太い矢に射たれたような気がした。矢はささったままである。

Piece shake Love

目次

Chapter 1
 物理的につながり、物理的に切れる
 コード
 今は再現できない種類のつながる意志
 心配性
 並行して存在する人生
Chapter 2
 傷つけてしまうこと、救ってしまうこと
 幸せになるのはまだ早い君へ
 欲望の機能
 健全な欲望
 普通の欲望
Chapter 3
 プライベート
 未整理で雑多なもの
 コインランドリー
 電車
 ささやき
 かいま見るもの
 幻想の連れ込み
 秘密の暗い場所
Margin A
 リズムとメロディ
 テーマ
Chapter 4
 台風
 書店
 深夜
 幸福
 残り時間の感覚
 残り時間スケール
Chapter 5
 名前
 継続
 墓碑
 花火
 ある種のちょっとした神様
 去ってゆく猫
 猫の神様1
 すごく楽しくもない、特に刺激的でもない
Chapter 6
 出口
 寝室
 意志と結果
 普通のカツ丼
 焼き海苔の力
 平凡と即興
 猫の神様2
 醸し出すもの、内側にあるもの
Margin B
 テーマ(Reprise)
Chapter 7
 道
 祈りと呪い
 パンケーキ
 アンノウン 
 Love and Hell
 決めるしかないことの根拠(ループ)

著者のTak.さんの解説を読んでみると、単純に「エッセイ集」とは呼べないもののようだ。

過去にブログ「WordPiece」その他で公開した記事の中からセレクトしたものを、創作的に再構成したものです。

なにもしらなければ、エッセイとも小説とも読める。
複雑にもおもえるけれど、人生は「書かれた時点」でそのように読めるものかもしれない。

わたしは読みおえたあと、なにか叫ばずにはおれないと、こんなツイートをした。本の中から現世にもどったら間欠泉のようにふきだしてしまった。

叫びおわったものの、この胸にささった矢が気になっていた。
しかし、わたしの未熟なことばのあつかい方だとブログにどう書くかがすごくむつかしい。

とはいえ、自分のちから以上のことは書けないので、わたしの見た映像を文字にすることに決めてフロに入りながらもくもく手帳に書いた。
なので、わたしの見てきたイメージをここに書こうとおもう。

◼︎

読みはじめたとたん、映画を見ているかのような気持ちになった。
ケラレのおきている映像が再生されて、吸いこむ空気の温度までかんじている気がする。
頭の前側が熱くなってきて、あっという間に世界に入りこんでいく。

この本からは、ことばの「肉」をかんじるのだ。その一撃は大きくて、重い。

女性の書く「肉」のことばではない。かといって男性的というわけでもない。かんたんに二つにわけようとしていることがそもそもまちがっているのだろう。
「その人」(Tak.さんなんだけど)の肉なのだ。

この「肉」ってなんだろうと考えたとき、すごく生々しいものだとおもった。

そのイメージをはっきりことばにするのはむつかしいのだけど、その人の魂と結びついているものなのだとおもう。

他人がかんたんに触れにいくことのできないことばをみせてもらったから、わたしの胸に矢はささったのだ。

Piece shake Love

Piece shake Love

オトナ

たっぷりいろいろなことを言われるだろうとあきらめてのぞんだ個人面談。

わたしは、勝手に自由登校をしていた。
これ以上休むと、いよいよ父に怒られるぞというときしかたなく行く。
行かないときは、カーテンを閉めきった部屋でラジオばかり聴いていた。そこが安心の穴だった。

幼稚園のころから、同年代のきもちはよくわからなかったのだけど思春期ともなるといよいよ理解不能だった。

いまはもっとおおざっぱになったけれど、いまもむかしもあんまりかわってないので、自意識ど真ん中、見栄の張り合い、弱さやかなしさみたいなものを隠すために暴力的になっていく社会はとても生きにくかった。

担任とおこなった面談の内容は忘れてしまった。小言は言われなかったのだとおもう。

ふと息をついたら、外から部活動の声が聞こえることに気がついた。
心にもないことだったが沈黙を埋めるために「あの三人グループは、仲よさそうでいいですね」と面談をしていた教室からいちばん近い部活に属していた三人組のことを思い出し、口に出した。

「そうかー? ドロドロしてるぞ?」
先生はにこっと笑った。
「そういうものですか」
先生は笑ったままうなづく。

わたしはこの担任のことが大好きだった。教室にいるときは怒るポイントが全然わからなくて、いつ教科書が飛んでくるか、教卓がぶっ倒れるかわからずヒヤヒヤしていたけれど、二人で話すときはどんなはなしだとしても、いつも笑顔でまったり話してくれた。

めちゃくちゃやっかいものだったはずのわたしにたいして学年担任のほとんどは、まっすぐ目を見て子供扱いするわけでも繕うわけでもなくわたしよりも年上のオトナとして話してくれた。

わたしが、オトナが好きでオトナにあこがれるのは先生のおかげだ。と、いまこれを書いていてはじめて気がついた。

記憶

エメラルドグリーンの世界。とにかくあつい。

これは、生後三ヶ月。
くわしく母に説明したら、たぶん父母両家で温泉に行った時のことだという。
泣きつづけていたらしい。あつかったし。
その時のじいちゃんがうつっている写真を見たら、エメラルドグリーンは浴衣の模様の色だった。

それがわかったら、エメラルドグリーンの世界ははっきりと思い出せなくなってしまった。

◼︎

ここからはじまる、さまざまな記憶。

◼︎

えんぴつで描いたみたいな風景がすごい早さでながれていく。目線が高いから、抱っこされているのだとおもう。
さっきよりあかるい部屋で、寝かされたと思ったら、メガネの白い服を着たおんながあらわれてこわい。目をつむる。
おしまい。

これは看護師さん。
ひきつけをおこして運ばれた救急病院の一歳。

◼︎

毎日きこえる、夕方のニュースのジングル。

◼︎

クルマに乗っているとき、空にある月は追いかけてきているのだと思っていた。
見えなくなると泣いた。

夜のゆく先はいつも本屋だった。

クルマからおりるといちもくさんに駐車場のくさりをひっかける輪っかを手ではじいてまわす。夜だから、すごいおおきな音がひびく。

そして、両親と手をつないでジャンプする。
「おまえ、歩き方なおせ」父が言う。
向こうにあかりがみえて、そこが本屋だ。

二歳〜四歳。店内の風景はなぜかない。

◼︎

じいちゃん、ばあちゃん、クイズダービー、日本昔ばなし。両親はいない。

大工さんにしびれた足のなおしかたを教えてもらう、古い家でのできごと。

◼︎

松山千春がしゃべっているのが遠くで聞こえる。乗り物に乗ったら自分の意思とは関係なくねむってしまうスイッチがついてるから、寝ているのだ。

帰りは「♪夕日の〜沈む〜頃は、いちばん〜かなしい」という歌詞の向こうに、やっぱり夕日が沈んでいる。これはたぶん日曜日。

タージマハル?(ニセモノ)のみえる駐車場にクルマを停めて、本屋に向かう。今はない札幌の駅前通りに面した本屋。

父の買うマンガがマニアックすぎて、ここまでこないと手に入れられなかったのだと思う。

わたしは黒魔術の本を見つけて、おそれると同時に重厚さにあこがれた。

◼︎

「おばんでしたー」
父が自分の実家に入るときにかける、ことばのフシギ。

◼︎

北海道じゃ体験することのない狭い道。車窓からすれすれの石壁が見える。石壁ばかり気になる。バスの運転手さんの技術におどろきつづけた鎌倉。

大会に向かう地下鉄のなか。地下鉄なのに、外を走ってるよ!

東京の、今までに見たことのない色をしている曇り空。空がとても近い気がする。

京都駅の階段。天井を見上げてばかりいた。

見知らぬ街の夕方を歩く。これしあわせ。

めちゃくちゃキレイな朝陽に喜んだのもつかのま、なまらねむい。寝ると怒られるかもしれないから目をかっぴらいているが、これからどこに行くのかわからない。たいへん不真面目な女子高生だった。(ただしとっても真面目にみられた)

社員旅行。酔っぱらって寝ている上司の横で、先輩と同僚としりとりをはじめ「り」責めにしたら勝った。頭のなかの辞書を高速検索するのに夢中で、ダッシュボードと「り」しかおぼえてない。
たぶん二十三歳。

◼︎

わたしは記憶も友だちも遠くにある。
でもたまに思い出して、たいせつに思うものだ。
それが名所や目的地とかではなく、ゆく道ばかりだとしても。