仮庵

書きとめる仮住まい

お引越しのお知らせ

引越し先が落ち着いたので、お知らせです。

仮庵 (りびるど)

もともと、子どもに関するあれこれを書き わたしという人間が存在したことを 遺書? 記録? 的に残すつもりではじめたブログでした。

なんだか思ったよりも長いこと続き 個人的に役割を終えたと感じてはじめたのが一昨年の夏くらいだったでしょうか。

ひとところにとどまるのがもともと苦手で 役割も終えたことを考えると 別のところで別のことを書きたいと思いはじめました。 スタイルみたいなものは多分変わらないのですが。

またいずれ戻ってくることもあるかもしれませんが しばらくは引越し先で新生活を楽しんできますー。

忘れられた好物

なんの科学的根拠もないことは重々承知で、子どもは

  • ある程度の記憶を成長用のなにかと交換しないといけないルールが存在する

のではないか? とオットとファンタジーな雑談をしていた。

毎日よーく見ている子どもがある日気がつくと『ハードウェアはさほど変わらないのに、OSのマイナーアップデートが掛かって、昔あった機能がなくなってしまった』感じになるのが、冒頭のブレットを引き出した理由である。

 

幼児の頃の好物(ガレットと出汁を取り終えた昆布!)の記憶を引き換え?に、いつのまにか幼児の理屈をアップデートした児童に変身したようだ。

本人が時おり回想していたいくつもの記憶がないことにこっそり気がつく。目の前にいる子どもが、自分の知らない誰かのようにも思えて不思議な気持ちだ。

 

オットは、それらの記憶を断片的に思い出すんではないか? と言う。

けれども、久しぶりにガレットを食べた子が「うんまー!! これ、おいしいものランキング1いだわ」と、まだガレットを覚えていた時と全く同じ反応だったのを見て『完全に忘れてるなー新鮮な新規の反応だなー』という印象を抱いた。

そのときわたしは、どこかに置き忘れられて、置き忘れられたことも忘れられた色々な記憶の詰まったおもちゃ箱のようなものを思い浮かべた。

 

まあ、あとは忘れない程度に好物は作っとこと思うんである。

明けの明星

陽ものぼらないうちから雪かきをしなければならぬ日もたまにある。もし、そのある日が吹雪もしくは地吹雪ならば「マジ最悪。苦行」なのであるが、今日は穏やかでそして晴れていた。

期待はしていた。なにかが見られるかもと。晴れているのだもの。朝焼けは大好物さ。陽ののぼらないうちに走る電車の灯りも好きさ。薄明の前には、うつくしいものがたくさん息をひそめている。

 

見えたのは、星だった。

この時間にこの明るさ。これは明けの明星ってェやつでないのかい。

硬くて重たい鉄板のような雪塊を地面から剥がして、中空にぶん投げてはまた剥がすという、マウスくらいしか持ったことのないか弱き(運動不足)のカラダが悲鳴をあげる肉体労働がチャラになるレベルの喜び。こんなにハッキリ見える金星に……そして明けの明星にはじめて遭遇したのであった。

 

大して天体には詳しくないが、教科書でしか見たことも聞いたこともないものが肉眼で捉えられるのは存外嬉しい。

こういうのをまさに「早起きは三文の徳」というんだねえ。とベタなことばが頭をよぎった。

 

同時に、前にも『陽ものぼらぬうちからなにがし』をしていた時に「三文の徳」と思った気がする。そしてその数は一度や二度ですらない。

 

まあ、なんだったかもいつだったのかも思い出せない程度のよき事を三文と言い表すのなら、それもなるほどまさに、と思う。

また、三文=ごくわずかのことで喜びや嬉しさを感じられるんだったら、それはそれで幸せなんでないのかしら? とも思う。

 

けっこうではないか。

まちがいなく、金星はうつくしかったし。

Scrapboxに勉強記録を残す。

数日、こんなことをやっております。気まぐれです。

 

パソコンで作業をする、ということが数年前からガクッと減っている現状。できることなら多くのことは手元のiPhoneで解決したい。これぞスマホ依存。間違ってないスマホの使い方。

 

現在はPythonで長いコードを書くわけでなく、変数やら関数やらリストやらとファーストステップを踏みしめている状態なので、スマホに無料のIDEをインストールして結果を確認しています。一通り家事をやっつけて、子どもが寝てから腰を落ち着けて長いコードを書くのにiMacを立ち上げる。といった感じ。

 

(ちなみに、これ。)

Python3IDE

Python3IDE

  • Wang Lingling
  • 仕事効率化
  • 無料

 

勉強をはじめると決めた瞬間に問題として浮かんだのは、確認したコード、それに付随する所感や疑問を残す場所をどうするか? でした。

 

基本はスマホで記録することがおおいが、パソコンで勉強をする際も記録するであろう。となると、記録する場所は一箇所がよく、クラウドにお世話になるのが便利。

できることなら、コードがコードとして表示されるたらいい。個人的なwiki的なもの? ブログ?

 

ただ、ブログに書くにはまだ言語のコアを知らなすぎます。というか、プログラミングの基礎もない。

こういうこと? こういうこと?と連呼してばかりの記事がうっかり検索に引っかかってしまうのはちと気がひける。

 

などと考えたものの、結局「ままよ!」と直感で決めたのがScrapbox

合わなかったらまた考えよー。と居場所を決めたのですが、思いの外……いや、想像以上によかった。

 

書いたコードを残すだけではなく、初心者ならではの疑問もいっしょに書き残しています。

日をまたいだことは日付にしたハッシュタグで残しておけるし、自分がどのような経過を踏んだか、を何回も確認しながら改めて追記していきます。

頭の中だけでこういうこと?と考えるよりも、こういうこと? を生の言葉で書きなぐる。これは学ぶうえで大事なんじゃないか。と思った次第。別に間違っててもいいし。あとから追記するし。という気楽さがあります。

たとえばこんな感じ。めちゃくちゃですが。

 

テキストファイルにメモを残した時よりも、「前になにやったんだっけなーうふふー」と参照することが多い。そして具体的になぜかはうまく説明できないが、参照しやすい。おそらくページとページが紐づくリンクがゆえ。やったことを死蔵しない。

 

疑問書いたからあとでここ読んで答えておくれ!とオットへ乱暴にページを送りつけやすい。

 

帰ってきたオットをつかまえて質問責めにしたのち彼が突然見解を話しはじめたら「ちょっと待って!」とPorterを立ち上げて該当するページに即メモを取りはじめられる。パソコンを立ち上げるまで待ってもらわなくていい。

 

家事をしていて「はっ! もしや、こういうことなのでは……」と思った途端即該当のページにメモれる。

 

要するに、自分の勉強とサービスとの相性がとてもよかった。

 

即メモをする、という行動を育むのは思っているよりも難しいことです。

それは習慣による、と思っていたのですが上記の行動により、ツールと自分の相性もすごく大きいと感じました。

 

いままではなんとなーく保存場所としてのみ捉えていたScrapboxですが、こういったころころ移り変わったり行きつ戻りつする断片を即時記録したり追記したり、それとつながるものを改めて読み返したり……ということに対して非常に強力だな、と感じた次第。

それはScrapbox の力でもありますし、スマホメインでアクセスするわたしにとってはPorterというアプリの力でもあります。

Porter for Scrapbox

Porter for Scrapbox

  • shunsuke senoo
  • 仕事効率化
  • 無料

 

幻燈

新学期がはじまり、不慣れなことだらけで子も親もだいぶしんどかった。まだポツポツと問題は起きるものの、やっと生活のリズムが掴め安定してきている。

 

個人的には、『イメージ』に追い詰められたのが一番しんどかった。

親というものを、自分の親からのイメージやステレオタイプのイメージで無意識に演じようとする時がある。主に自分も混乱の中にいるとき。確固たるものがおぼつくと、イメージにすがろうとする。たとえそれが、自分の意に反するものでも。

オットは、イメージする親というものに追いつめられているように見えたと言い、「(自分がイメージする)いい親になろうとしてね?」というストレートな言葉でわたしの『そんなこと思ってねえよコノヤロウ!』スイッチをキックした。反発はわたしを幻惑から脱出させ、『わたし』を取り戻す。

いい親をしなきゃ、とは思わなかったが、親としてこうしなきゃ。は思っていた。おそらく言葉の選び方が違うだけで、オットが言ったことは同義だった。

イメージは幻燈だ。良く見え、良く思え、キレイに見え、どこまでも素晴らしく見える。それらは無意識を誘惑し、無意識を操り、境界を曖昧にしようとする。融合できるのならなんの苦しみもないのだろうが、わたしには自分を更に見失わせる苦しみでしかなかった。その演じようとしたやつが自分にはむかないやつなんだもの。

親はイメージで存在するのではなく、機能で存在すると思っているのにも関わらず、自分も不慣れなことが多いとあっという間に飲み込まれてしまう。まだまだ修行が足りないとがっかりする。

 

親の日常的な機能は、まだひとりではご飯したくも洗濯もおぼつかない子どもが生きるための衣食住の補助をすること。めんどうくさい社会生活をなんとか生きるためのTipsを提供することもある。ただ、これを使うか使わないかは本人次第であるとは伝えている。

本質的な親の機能は、彼らを肯定し(甘やかすではない)帰ってくればただ安心できる。宿題を見ていてほしいとか、何かを作ったから見てほしいとか、怖くて寝られないから抱っこしてほしいとかそういった発達段階に応じた欲求に答えること。それ以上でもそれ以下でもない。