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仮庵

書きとめる仮住まい

「わからん」のノート。

「わからなかった」「できなかった」記録を読み返して、面白いなあと思った。

それらは青い表紙のノートに殴り書きされている。
当初はそんなノートにするつもりはなく、今日の学習を記録していたらそんなのばかりになっただけだ。

「こういう理由でわかった」という内容のことも慌てたようすでいくつか書きとめてあるが、大半は「わからん!こうなってこうで、こうだからこう!ということだとは思うんだけど。で、なんで?」と書いてある。
苦手な部分は数ページ置きに同じような「なんで?」が何度も出てくる。
堂々巡りをしていたり、疑問があっちこっちに飛んでいたりと、たいへんにぎやかだ。

ある日ノートを頭から読み返す気分になった。読み返してみると「なんてトンチンカンなわからないなんだ!」と面白かったし、前提がわかっていなかったからわからなかったのね。と微笑ましく読める。

過去の自分の「わからん!」メモにツッコミを入れることは、まるで他人に教えるかのようだ。
書いたのはわたしだが、同一人物とは思えない。ふわーっとした不思議な気持ちになる。もうあの頃には戻れない! あたりまえだけど、不思議!

いずれもわたしでわたしなのだが、ちょっと前の一点に置いてあるわたしを振り返ってみると少々嬉しくもあり、面白いのだけど寂しいような気もしてくる。

「スタイルシート スタンダード・デザインガイド」の思い出。

ふと、この本のことを思い出したので書く。

ある日、バイトを紹介された。なにも考えることなく行くことにした。ぼんやりとした無鉄砲者だった。
行って驚いたのは自分のできなさっぷりだった。

上司はなにも言わなかったけれど「いかん。わたしはなにもしらない!」と気がついて、転がり込むように先生のもとへ押しかけ「なにか1冊紹介してくだせえ!」と頼み込み、技術書を一冊借りた。

たしか、連休をまるっと使って1冊通した。いちからWEBサイトを構築していくステップアップ方式なので、ページをめくっていくほどに面白くなった。

連休が終わってバイトが再開してからも、帰宅するといちから練習することを繰り返した。とにかく楽しかったのだと思う。

その後、自分で買って常に携帯し、わからないことがあったらこの本にあたり、いつも忘れてしまう部分にはすぐに読めるよう付箋を貼った。

バイトが終わる頃にはカバーも外されボロボロになったし、引くこともなくなった。しかし、どこへ働きに行くにも一緒だった。
今も読む必要はないのだけれど大事にとってある。

XHTMLだ! ウェブ標準だ! などと言われはじめた頃の本なので、レッスンで作るものの見た目は今では古くさくはある。(当時はテーブルを使わないで書けるようになるすばらしい本だった)

しかし、自分の中にゆらぎのない基礎を作ることができたし、構造化・CSS設計の基礎、なぜそう書くことが大切かという考え方、なによりCSSの面白さを学べた、わたしにとっての大切な古典だ。


音読

えいごのおんどく

英語を勉強しはじめて、おっくうだったのが音読だった。

理由。

  • 読み方がわからない。
  • 発音があっているかわからない。
  • 口がまわらない。
  • 疲れる。


めんどうくさがっていてもはじまらないので、とりあえず「続けてみねば、何が起こるかはわからない」と思うことにして、1ヶ月のあいだに本のふろくについていた発音記号の読み方と、単語の読みあげをしつつ、どうやって出しているのかわからない音はYouTubeで手当たり次第動画を見た。(便利だ!)
試行錯誤しながら、音読し続けてみたらあら不思議。
あっているかはわからないが、口はまわるようになった。

なんだか言いにくい気がする時は、だいたい発音が間違っていることに気がついたので、単語の上に発音記号をふり(最初のうちは全単語に)、スマホに入れてある英和辞書で単語の発音・またはGoogle翻訳に文ごと打ち込んで音を聞き、マネをする。
それっぽい程度の再現ではあるが、口がまわるようになると面白くなってくる。

にほんごのおんどく

英語の音読を始めて1ヶ月半経ち、音読をすること自体が好きになってきたので、とくに聞かせるつもりはなく子どもの本を音読してみた。

思いの外これが子どもホイホイで、たいくつだと言っていた本でも引き寄せられるようにやってくる。

「あら。おもしろかった?」
「まあね」


むかし。
ついついふだん心の中で読んでいる調子で教科書を読みあげた結果、教室の空気がひんやりとしたことがあった。
教室中から聞こえてくるヒソヒソクスクスに負けじと声を張って読んだ。頑なに棒読みをしなかった。

ワザと棒読み・適当読みをしてしまうことは、それまで本を読んできたことへの裏切りか侮辱に思えたのかもしれない。または、そういった「空気」への反抗であったのかもしれない。
いずれにせよ、今も昔も頑固者ではある。

順番がまわってきて『フン。笑っておけばいいじゃない』と思いつつ起立し、読みあげはじめる。
いくら読んでも終わりの合図がなく「変だな」と思いながら(たしか)終わりまで読まされ着席すると、おじいさん先生が「聴いたか! こうやって読むんだ!」と叫んだ。
やはり教室の空気はしらけたが、おかげで心が折れずにすんだ。


だから今でも絵本も本も、気持ち・臨場感たっぷりで読む。楽しいから。
楽しく、悲しく。おどろおどろしく、ひょうきんに。動物の鳴き声は腹から声を出す。

たまに、驚きの声などを大きく読むと、子どもがその声に驚き体ごと跳ね上がるのはちょっと申し訳ないが、そういうシーンを子どもは好む。二回目以降はみがまえてニヤニヤしている。

子どもも、母のマネをして本を読む。

なぞる

5月になった。
今年は毎日ただただ勉強し続けている。

勉強の仕方がわからない。という状態から自分なりに続けられる方法を模索し続けている。

飽きない工夫をしながら同じことを繰り返すのが一番続くようだということ。そして、同じことを繰り返しなぞることがいちばん理解に繋がるようだ。

オットがよく、まず作りたいものがあったら1からなぞってみること(車輪の再発明)が自分には理解するために早く、それで基礎ができたらそこから応用ができると言う。

わたしは答えが即座に思いついて、それを説明せざるを得ないときに式を書くようなタイプだったので、遠回りのように感じていた。

ドラクエのシステム・画面を1から作ったことがあると聞いたとき、なぜ?と思ったけれど、いまなら、なるほどなと言える。理解するために自らの手で再現してみるのは有効だ。

信頼

「あたまがいたいから、やすみたい」
「ほう。ならば病院行くか」
「いたいのなくなった」
「ウソか」
「ウソだった。へへへ……」
「あのさ、母ちゃんはあんたの言ってることは全部本当だと思っているからね」
「そうなの?」
「そらあそうださ。信頼してるもん」
「しんらいしてるの?」
「信頼してる。現時点において信頼しないという理由がない。だからあんたが母ちゃんに対してウソつくとは思ってない。だから言ってることは全面的に信頼してる。全部本当だと思ってる」
「うん」
「ただなあ、もう少し大きくなるとさ、親にウソつきたくなるときも出てくるからさ、むずかしい話ではあるわ。いろいろあるのよ」
「ウソつかないもん」
「ほお。そうか」
「だって、かあちゃんのことすきだもん」
「そっか。ありがと」


「そっかーしんらいしてるのかー」